男が群れるとどうしてもヒエラルキーができる。
強い者がハバをきかせ、弱い者がそれにかしづく。
中庭にもやはり無言の秩序があった。常に一人ないし数人のボスが立ち、弱い者をいじめたり、守ったりしている。
ガルデルは現在の東西中庭の一番ボスだった。レスラーあがりのたくましい黒人で、多分に男性ホルモンが強い。金髪碧眼の犬に目がなく、そうした犬が入ってくると自分の女にしたがった。
「マキシムにもお呼びがかかったねー」
フィリピン犬は教えた。「でも、あのマキシム、もと軍人。腕っ節も強いし、気位も高いね。ガルデルのこと、鼻もひっかけない。それどころか、寄ってきたガルデルを侮辱したよ」
かくしてリンチが決まった。
態度の悪い新人はリンチにかけられる。植え込みの影で口をふさがれ、おさえつけられ、先輩たちに輪姦される。最悪の場合、殺されてしまうこともある。
ガルデルは配下の連中に、だれが手をくだすかクジを引かせていた。ひとの犬を傷つけたといえば、主人間で問題になるため、自分ではやらないのだ。
「ご主人は知らないのか」
犬同士のマウントを嫌う主人もいる。担当アクトーレスがウエリテス兵に言って保護させることができるはずだ。
「わたし、知らないよー」
フィリピン犬は苦笑した。「どうせ、あの犬、ここに罰として来たねー。ドムス暮らしで態度でかくなったよ、きっと。ご主人、反省させるためにここに放り込んだ。なら、痛い目に遭ってもべつにいいでしょ」
いいでしょ、ではない。姫君の危機ではないか。
おれは彼を探しに中庭を歩きまわった。
ようやく木の下の白い裸身を見つけた。マキシムは木陰のベンチにいる連中となにか口論をしていた。
「マキシム」
銀髪ががふりかえる。
ふりむいた眼の青さに、胸がドキリとなった。
一瞬、深い森が見えた。神秘な森の泉のそばで、聖なる生きものがおれを見つめていた。
「お、おれだよ。こないだ挨拶したろう。日陰はこっちにもある。来いよ」
だが、彼はぷいとそっぽをむき、木の脇をすり抜けて行った。おれはその隣に這い寄った。
「あのふたりはあそこにいたいのさ。あそこは目立たないだろ。やることがあんのさ。――おれもあんたとやりたいことがあるんだけどな」
きれいな横顔にはなんの反応もない。
彼が彫像の影にうずくまると、おれはその隣にぴたりと寄り添って座った。
「うせろ」
とたんに彼が言った。「ぶちのめされたくなかったら、むこうへ行け」
「つれないな。まだ何もしてないぜ」
彼がふりむいた。青い眼がゆっくりとけわしくなった。
「わかった。わかった」
おれはあわてて腰を浮かせ、長居はしない、と言った。
「ちょっと耳に入れておきたくて。――その、ガルデルがあんたにハラをたててる。なんでかはわかってると思うが、やつをなめないほうがいい。やつは、手下を使ってあんたをいじめにくる。彼とおつきあいしたくないなら、ご主人に言うか、アクトーレスに言うかしたほうがいい。中庭にも出ないほうがいいが、出たいなら、ウエリテス兵の傍を離れないことだ」
「わたしはうせろと言わなかったか」
マキシムの声は氷のようだった。
「言った。言いました。おせっかいだったな。でも、ちょっと心配になってさ。あんたのかわいいお尻がめちゃくちゃになっちゃいかんと――」
首輪をつかまれたと思うと、ぐるりと天地がめぐった。おれは地面に叩きつけられていた。とっさのことで受身もとれなかった。背中を打ち、肺が痺れかえった。
「黄色い猿。二度とわたしに近寄るな」
青い眼が侮蔑をこめて見下ろしていた。
おれもようやく気づいた。汚いものを見る目。嫌悪。
彼は有色人種を嫌っていた。
おれはごろりと身を起こし、回廊を去った。
「Xデー、決まったよ」
フィリピン犬はおれに耳打ちした。マキシム受難の日だ。
「水曜日。やるのはマリオのグループ。火曜日にマリオのご主人が帰る」
彼はおかしそうにおれを見た。「仲間に入れてもらいなよ、ヒロさん」
おれはためいきをつき、中庭の端に目をやった。
マキシムは木陰にひとり身をよこたえている。彼はいつもひとりだった。誰かが寄ってきても、つっけんどんに追い払って、ひとりで昼寝していた。
(ちくしょう。きれいだなあ――)
彼の偏見には傷ついたが、姿を見るとやはり釣られるように見惚れた。
マキシムは美しかった。光を含んだ白い体はどこにいても目立った。
彼が現れると中庭がそこだけ明るくなる。ほかの犬たちは陰のようにちぢんで見えた。
華やかだが、陽気ではない。彼は罠にかかった狼のように悲劇的な感じがした。
おれはその哀れさにも惹かれた。
(あの狼にとっちゃ、おれは野ねずみかモグラ程度のものだろう)
野ねずみであっても恋はやはりせつないものだ。
おれはしかたなく腰をあげ、シダの木陰にたむろしている一群に向かっていった。
「あの」
顔をのぞかせると、ぞろりといくつかの顔が向いた。全員金髪だ。
その真ん中に黒人の大男がどっしりと座っている。彼のひざの上には、やはり金髪の美青年が足をひらかれ、蛇のようにのたうっていた。
「あ」
美青年がおれに気づき、恥ずかしげに顔をそむける。だが、そのしぐさは多分に媚をふくんでいた。
「なんだ、ヒロか」
青年の咽喉をつかみ、黒い貌が肩越しにきらりと笑った。「めずらしいじゃねえか。古なじみ。どうした」
「いや、地下から這い上がってきたんで挨拶を」
おれは卑屈な笑いを浮かべた。「でも先客がいたようだね」
ガルデルは声をたてて笑った。房事の最中であっても、この男はさわやかに笑うことができた。
「律儀なこった。いいよ、そんなことは。おまえとおれの仲じゃねえか。なんか困り事か。言ってみな」
おれは気後れした。
まわりの男たちの迷惑そうな空気が痛いほどつたわる。遊びの途中だ。興ざめな闖入者に腹をたてていた。
「言えよ」
「その、マキシムのことなんだが」
傍らの男がじろりとおれを見た。
「あいつをリンチにかけるって聞いたんだが、ちょっと待ってくれないか」
ガルデルが不思議そうにおれを見る。「待て? いつまで?」
いや、とおれは口ごもった。
「待てじゃなくて、やめてくれないか」
空気が一瞬、はりつめた。のたうっていた美青年までがおどろいて、ふりむいた。
おい、と傍らの男がおれの耳に唾を吐きかけた。「だれがおまえの意見を聞いたんだ。ジャップ。関係ねえことに口をはさむんじゃねえ」
チロ、とガルデルが叱る。
「ジャップなんて言うんじゃねえ」
ガルデルはむぞうさに美青年をどかせると、自分の前で伏せをするよう、いいつけた。まるい尻をつかんで高くつきあげさせる。
ガルデルは改めてその尻にたくましい腰を突き入れた。
「アアッ」
青年の背がそりかえり、嬌声が跳ねる。
「アッ――ヒッ――ガルデ、ル」
「小鳩ちゃん、静かにな」
ガルデルは青年を揺さぶりながら、おれに言った。
「ヒロ。そいつは聞けねえな。ほかになんかあるか」
「ガルデル、彼はプラチナ犬だ。たぶん、仔犬からすぐドムスに移ったんだ。だから、ここのルールがわかってないんだよ。もう少ししたら、あんたを敬うことを覚えると思う」
どうだかな、と彼は歯を剥いた。
「あの小僧は、おれに失礼な口を聞いたよ。おれがただ機嫌よく挨拶にいっただけなのにだ。なんつったかわかるか? くろんぼ、だ。くろんぼ。かなしいじゃねえか」
(あのバカ)
おれは胸のうちで歯がみした。つくづく人種差別好きの豚らしい。
「よくない――言葉だと思うよ」
「よくねえどころじゃねえ! 白豚が。あいつは黒人が飼うべきだったんだ! おれはああいうバカは見過ごせねえ。おれたちゃ、皆ここでいじめられてるのに、なんでこの上、白人にいじめられなきゃなんねんだ? そうだろう? ほかの連中だって迷惑する。おれはやつに、ここじゃそういう了見は通じねえってことをわからせてやる」
「でも、クリスマスだしさ」
おれは食い下がった。「みんなナーバスになってる。今事件起こすと、集団ヒステリーみたいになるかもしれないぜ」
ヒロ、とガルデルはやさしい声を出した。
「おまえが心配するこたねえ。おまえはやさしすぎるぜ。だから、地下で苦労するんだ。ひとのことは放っておいて、幸せになんな。新しいご主人がついたんだろ」
なお言おうとすると、傍らの男がおれの鼻の前に手のひらを突き出した。
「もう帰りな」
「いや、でも」
手のひらがいきなり顔をつかむ。眼窩に指をつきたてられそうになり、おれはあわてて手をはがした。
男は低い声を出した。
「おまえ、足が悪いんだろう? この上、目玉もないとなったら、新しいご主人もいやだと思うぜ――地下に戻りたくねえだろう?」
おれはうろたえ、ガルデルを見た。ガルデルは知らんふりをして、青年の腰を揺さぶっている。
おれは退散するしかなかった。
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